2024.03.21
安全保障関連法案の審議プロセスを問う
西川 伸一 明治大学 政治経済学部 教授矛盾している「自国を守るための集団的自衛権」
それでも、安倍首相が集団的自衛権行使を可能にしたいのはなぜなのか。国会での安倍首相や閣僚の答弁を聞いていても、その理由の説明には納得がいきません。
日本が他国から攻められた場合、自衛隊が実力を行使する、つまり個別的自衛権の行使は違憲ではないことを歴代の内閣は確認し、受け継いできました。それに対して、集団的自衛権とは、ある国が武力攻撃を受けた場合、攻撃を受けていない第三国が当該国と協力して防衛にあたる、国連憲章に定められた権利です。安倍首相は集団的自衛権の行使を可能にすることで、日本はますます安全になると強調しています。ですが、集団的自衛権の行使は、日本が攻められていないのに、武力を行使することを意味します。それでなぜ「日本はますます安全になる」のでしょう。集団的自衛権の行使とは、いわば「他衛」のための武力行使です。これは、憲法9条をはじめとする日本国憲法の条文から認められないとするのが、従来の日本政府の立場でした。
にもかかわらず安倍政権は、これを限定的とはいえ行使可能にする閣議決定を行い、それに基づく法律をつくろうとしています。「限定的」ですから、一定の要件を満たさなければ行使できません。その第一要件とされているのが、「存立危機事態」です。「密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」事態を指します。しかし、他国が攻められただけで、日本がそこまでの深刻な危機に陥る事態が現実にあり得るでしょうか。「自国を守るための集団的自衛権の行使」という形容矛盾を説明せざるを得ない無理がよく表れています。
つまりこの第一要件を字句どおりに読む限り、安倍首相が異様に固執するほどには、集団的自衛権が行使される場面はほとんどありえないといえます。むしろ狙いは「小さく産んで大きく育てる」。集団的自衛権の行使の制約を徐々に外していき、やがてはフルスペックの集団的自衛権を行使できるようにしたいのではないでしょうか。
日本には70年間築き上げた平和国家の信用がある
戦後70年間、日本は武力行使を目的に自衛隊を外国領域に派遣する、いわゆる海外派兵は行ってきませんでした。しかし、それによって日本が世界から白い目で見られてきたわけではありません。むしろ、平和国家としてブランディングされています。一口に国際貢献といいますが、そこにおける軍事的貢献の割合は実はわずかに過ぎません。それ以外の分野において、日本が様々な国際貢献を行ってきたことはよく知られています。安倍首相は野党に対して、政府の安保関連法案に反対するだけでなく、「国民の命と平和な暮らしを守る」ための対案を出せと求めてもいます。法治国家として法的安定性を尊重すること、そして平和国家として歩んできた戦後70年の実績に誇りをもつこと。これらこそ、対案そのものといえるでしょう。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。