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2015.08.21

戦争の記憶を未来に活かすために

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地域にもある歴史が刻んだ記憶

山田 朗 親から子へ語り継がれる歴史の記憶は、単なる遠い過去の出来事ではなく、リアリティのあるファミリーヒストリーとして引き継がれるものです。70年前の戦争による加害の記憶が、ファミリーヒストリーとして語り継がれ難いのであれば、戦争の記憶が刻まれている場所や地域を訪れるのが効果的な継承方法のひとつです。そこでは、戦争に関係した物や痕跡を目の当たりにすることがあります。
 現在、本学の生田キャンパスがある地域は、旧日本陸軍によって1937年に開設された登戸研究所があった場所です。この登戸研究所は、アジア太平洋戦争での秘密戦の中核を担っていたため、軍から重要視された研究所でした。キャンパス内にはいまでもその史跡が点在しており、私が館長を務める「明治大学平和教育登戸研究所資料館」はキャンパスの西南端に位置し、登戸研究所の施設の一部をそのまま資料館として活用しています。現在は、この研究所で秘密裡に実験や開発が行われていた風船爆弾や電波兵器、生物化学兵器、スパイ用品、中国の偽札などのほか、本土決戦での化学兵器使用に備えた機器類の展示等を行っています。関係者がなかなか語ることのない、戦争の暗部を映し出しているともいえる、こうした展示物を目の当たりにしたとき、私たちは、戦争という状況がいかに異常で、時として尋常な理性と人間性を喪失させかねない機能をもっていることを実感します。
 いまの若い世代は、戦争という状況が人や社会にどんなことを強いるのか、理解しづらくなっているのを感じます。「戦争がダメだと思えば反対すればいい」、「戦地に行くのを拒否したらいい」という声は、いま考えれば当然の意見です。ところが、そのような発想すらいだかせない戦時中の異常さは、その時代を体験した人たちでなければ理解しにくいことでしょう。歴史学者として、また教育者の一人として、それを若い世代に教科書だけで理解させるのは難しいと実感しています。だからこそ、登戸研究所資料館のような施設を利用してほしいと思います。展示物を見て、非人道的な兵器に憤りや悲しさを覚える人もいれば、風船爆弾の風船を作るための和紙の高度な技法や、日本からアメリカまで飛ばし、そこで爆発させるための工夫と技術力の高さに興味をもつ人もいるでしょう。その興味は、この技術を平和利用していれば、という思いに行き当たるかもしれません。
 歴史を学ぶ人を、一定の方向だけに意図的に導く教育は正しいとはいえません。「戦争はいけない」と頭ごなしに指導するのではなく、日本の歴史の中に戦争があったこと、日本人は被害者でもあり、加害者でもあったこと。その事実に対して、どんな小さなことでもいい、内発的な関心を呼び起こすことで、目を向け、理解し、戦争が他人事ではなく、自らのこと、そして未来につづく土台となることに気がついてほしいと願います。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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