2024.03.21
富岡製糸場、世界遺産登録へ ―その背景にある評価されるべきポイント―
若林 幸男 明治大学 商学部 教授繭のヒンターランド・群馬県富岡
ユネスコの世界遺産登録に関しては、富岡製糸場という官営企業が優れていたわけでなく、富岡を中心とした地域全体が、繭のヒンターランド(後背地)を有していたことが着目されるべきである。この地域を中心に広く農家が優良な養蚕業を営んでいた。実際、世界遺産への申請にあたっては「富岡製糸場と絹産業遺跡群」とされており、「富岡製糸場」と近代養蚕家の原型となった「田島弥平宅」、養蚕教育機関だった「高山社跡」、蚕の卵の保存に使われた「荒船風穴」の4つの資産で構成されている。さらに重要なのは、富岡の地で発展した生糸の生産技術や養蚕技術が近隣の長野や福島、山梨などへ伝播し、各地域の養蚕農家・製糸業者の努力が日本の近代化を支え、国内製糸業を世界トップレベルまでに引き上げたということである。富岡製糸場は、文字通り、日本の近代化の“象徴”に過ぎない(※注…4月下旬、ユネスコの諮問機関は「登録が適当」と勧告、世界遺産登録は決定的となった)。
私の専門である、戦前の総合商社の人事システム研究と、富岡製糸場の世界遺産登録との間には大きな隔たりがあるものの、モノの見方、捉え方という点に一つの共通項がある。先に戦前の総合商社のリクルートに学歴主義はなかったことを指摘したが、多くの人にとって意外な事実と思われるだろう。「日本の近代化を支えた生糸輸出」にしても、富岡製糸場が牽引したわけではないのは前述の通りだ。思い込みや先入観、あるいは常識とされていることを鵜呑みにすること、その危険性を指摘したい。事実を正確に把握し、自分自身で考え判断することは、情報化社会とされる現在、様々な局面でより重要なことであろう。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。