2024.03.21
「共謀罪」法が問題だらけになったのは、オリンピックのせい!?
鎌田 勇夫 明治大学 専門職大学院 法務研究科特任教授(退任)政府の意図を見極め、判断し、議論を深めることが重要
また、今回の「共謀罪」法は実施上の問題以前に、憲法及び刑事法の「人は思想のゆえに罰せられない」、「行為なければ処罰なし」という基本原則を歪める恐れもあります。犯罪が行われる場合の行為を時系列的に見ると、まず「計画」があり、それに基づく「準備行為」があり、さらに犯罪の準備だと客観的にわかる「予備」があり、「実行の着手」に至ります。「行為なければ処罰なし」という大原則に則り、処罰できるのは「予備」までというのが、いままでの解釈でした。ところが今回の「共謀罪」法では、「準備行為」や「計画」までも処罰の対象となり得るのです。すると、日頃から憎く思っている上司に殺意をもち、殺し方を想像したり、同じ思いの同僚と「お前もそう思っていたのか」などと話しただけでも処罰の対象となるということです。実際にはそのようなことはないかもしれません。しかし、犯罪の「準備行為」や「計画」までも処罰の対象にするということは、理論的には「人は思想のゆえに罰せられる」、「行為なくても処罰あり」となり、それは憲法、刑事法の大原則を揺るがすことなのです。さらに、民主主義には根本に「思想・良心の自由」があります。この自由が保障されなければ、民主主義は成り立ちません。「共謀罪」法は、民主主義の原則とも対立するのです。
しかし、一方で、法の支配の要請と民主主義の要請は、時に対立することがあるのは、事実です。例えば、テロ行為が行われれば、国の威信や信用を失うばかりではありません。市民の命や身体、財産も脅かされるのです。それを未然に防ぎ、防遏するためには法の支配も必要です。「共謀罪」法の成立前、マスコミなどは戦前の治安維持法との類似性を挙げ、ある意味、市民の危惧を煽りました。もちろん、政府のやろうとしていることに批判の目をもつことは大切です。しかし、危惧や危機感によって、ただ感情的に反対するだけでは、議論はできません。政府は何をやろうとしているのか、まずはしっかり見極め、その手段として適っている立法なのかを判断することが必要です。例えば、「共謀罪」の対象犯罪は277に規定されましたが、その中に、「公職選挙法違反」や「政治資金規正法違反」は入っていません。諸外国では、犯罪組織が政治権力と結託することを防ぐために、政治家に関わる犯罪を構成要件に入れるのは普通です。しかし、日本ではあり得ないという、政治家自身の見解が通っているのです。これは、「共謀罪」法の意図に適うといえるでしょうか。こうした点にも目を向け、疑問をもってもらいたいと思います。そのためには、私たちのような法学者や法の実務家が判断材料となる情報や解説をしていかなくてはいけないと思っています。その上で、市民の方々も立法の意図に関心をもち、議論に参加してほしいと思います。
今回の「共謀罪」法は、憲法及び刑事法の基本原則を歪める恐れがあると言いました。それをどう考えれば良いのか、それについても、もっと議論を重ねることが必要なのです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。