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2017.06.21

効果的な高齢者用補聴器を目指して、1/100秒の壁に挑む

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補聴器のディジタル信号処理の時間をどう設定するか

村上 隆啓
音響遅延発生装置でのテスト
 例えば、音の高さを変えずに音の速度を変えるという技術は早くから研究が進んでおり、1990年代頃にはある程度技術が確立されました。すでに、高齢者向けの携帯電話や、電子楽器などで実用化されています。この技術によって、人の声を聞き取りやすい速度に変えたり、老人性難聴で聞こえなくなる高い音を聞き取れる音域に変えることも可能です。ところが、こうした技術を補聴器に取り入れる場合、問題があります。1/100秒の壁と言われるものです。入ってきた音と出ていく音に時間差があると違和感が生じるため、その遅延を1/100秒以内に抑えなくてはならないというのです。実は、目で見ている映像と音のズレはそれほど気になりません。テレビの撮影などでは、マイクの位置などによって映像と音の時間にズレが生じるため、技術の人が調整しているというのですが、それほどシビアではないそうです。ところが、自分が喋っている音が遅れて聞こえると、非常に違和感や混乱を感じるようになります。「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられるイグ・ノーベル賞という世界的な賞がありますが、2012年に日本人の研究者が「スピーチ・ジャマー」という装置を作って受賞しました。これは、自分が喋った声が3/10秒遅れて聞こえる装置で、これを使ってスピーチをしようとすると、スピーチができなくなってしまうのです。3/10秒の遅延で喋れなくなるほどの混乱が生じるのですが、補聴器の場合は違和感なく使うために、1/100秒以内に抑えることが暗黙のルールになっているわけです。しかし、ディジタル信号処理を行う場合、長いデータが入れば入るほど、できることが広がります。例えば、近い周波数を分別する場合、1/100秒だと100Hz離れていないと分別できません。成人の男性の声は、だいたい80Hzから160Hzくらいなので、これでは分別の効果は実感できません。これが、5/100秒の時間があると、理論上20Hz離れているものを分別できるようになります。男性の声が複数していても、聞き分けられる可能性が期待できるようになります。同時に、聞き取れない高音を聞き取れる音域に変え、早口を聞き取りやすい速度に変え、大きい音はうるさく感じさせずに小さい音は聞き取りやすくする。こうした老人性難聴の特徴を同時に補助する性能も、処理する時間があればあるほど、高めることができるのです。

 しかし、補聴器を使っている人が違和感を感じるのであれば、1/100秒以上の遅延は論外です。ところが、私は高齢者の方々から調査データを取らせていただいているのですが、高齢者は音の遅延をそれほど気にしていないのではないかという現象を見ることがあります。そこで、十数人の方々からデータを取らせていただいたところ、学生から取ったデータと比べて、明らかに遅延が気にならないというスコアが取れました。もっと大量のデータを取り、高齢者にとってはどこまで遅延が許容できるのかがわかれば、高齢者専用の補聴器として、性能を大幅に向上させたものができるのではないかと思っています。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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