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2013.08.01

政治学と情報通信政策の両面から世界を見つめて

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提言は「道具を使い続けることでしか社会は動かないのでは?」

清原聖子准教授 いま、道具という単語を出しましたが、私の本欄での提言もまさにそれに関わる「道具があるなら活用していきましょう」という話なんです。具体的には、私の専門でもあり、2013年7月の参院選で解禁となり話題になったネット選挙にしても「若者を中心にして使える道具が増えたのはよいこと」と捉えるべきだろう、ということですね。
 私のところに取材にいらっしゃるメディアの方々は、参院選を振り返り、ネットで選挙運動ができるようになったのに、残念そうに、(期待ほど)盛りあがらなかったのではないか、と質問されます。投票率の低さを指してそういうのでしょうが、早くからネット選挙が行われてきた米韓と比べると、投票率に関しては2012年の韓国の大統領選がかなり高かったので日本の低投票率が目立つのだろうと思いますが、2012年のアメリカの大統領選と比べればそこまで大幅な差とはいいにくいでしょう。しかも今回の参院選は新政権がはじまって実質的には半年ちょっと、経済政策が一定の評価を得て、政権には大きな影響を与えないだろうという報道もされていた選挙ですよね。政権交代がかかっていた米韓の大統領選と比べるには性質がちがいすぎます。それなのに1回の選挙結果を見て、メディアが簡単に「ネット選挙が盛りあがらなかったのはなぜか?」と問いを立てた影響なのか、割と多くの若者が「期待とちがった」と意気消沈しているようです。卒論でネット選挙をテーマにしようとしている学生をはじめとして、私が授業で接しているみんなの反応からも「がっかり」ムードが伝わってきています。しかし、ようやくネット選挙が解禁となって選挙運動に使える道具が増えたのに、短期的な結果だけをもとに、ネット選挙に期待を寄せた若者が新しく使えるようになった道具のメリットを感じられず、関心をなくしてしまえば、これは大きな問題でしょう。
 私たちはこれまで使えなかった道具を選挙運動に使える環境を手に入れたばかりで、ネット選挙の真価が問われるのはこれからです。道具は、ある程度使い続けて、使う側の技術も鍛えられたあとでなければ真価が発揮されないものです。今後、ほんとうの意味で有権者が大きな決断をする際に、本来なら活用されるに値する道具をうまく利用できないなんて社会にとってはマイナスです。ですから、まずは我々がようやく手に入れた社会を動かす機会に使える道具を使い続けていくこと、すなわち、インターネット選挙運動の経験値を上げていくことが大切だと思います。それには、政党や候補者側だけでなく、有権者自身のメディアリテラシーも鍛えていかなければならないでしょう。

※掲載内容は2013年8月時点の情報です。

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※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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