2024.03.21
- 2013年5月1日
- 特集
先人の創意工夫のたまもの、それが現代の日本語
山口 仲美 明治大学 国際日本学部 教授(2014年3月退任)日本語の歴史を知ると、先人の工夫に感謝の念が湧き上がる
日本列島に日本人が住みついたとき、話すことはできたけれど書き記すことができなかった。文字がなかったためである。さて、文字をどうするか?
中国には、漢字という文字がある。それを日本語を書き表すために借りることにした。しかし、漢字は中国語を表すための文字であり、日本語を表すための文字ではない。語順も違う。ここに、日本人の日本語を自在に書き表すための創意工夫が始まった。
試行錯誤のすえ、漢字全体を崩した「ひらがな」、漢字の一部を取った「カタカナ」が編み出される。これは日本人にとって画期的なことで、自分たちが使っている日本語をうまく写せるようになった。その結果、日本人は、世界に誇れる傑作『源氏物語』や、『枕草子』を次々に生み出していった。
現代の日本人が何気なく書いている「漢字仮名交じり文」、話すように書ける「言文一致」、これらは過去の日本人たちの苦労の賜物である。
言葉というのは、物の見方、認識の仕方を反映している。メディアの発達や国際化の進展に伴って、日本語を軽視する風潮が強くなっているように思われる。しかし、長い年月をかけて育んできたその国の文化は、その国独自の言葉によって紡ぎだされているのである。
それを学生のみなさんに分かってもらうために、教室での講義だけでなく、狂言の鑑賞で室町時代の言葉を、古典落語を聞きに行って江戸時代の言葉の名残を味わうという試みも行っている。
日本語の歴史を知ると、先人たちへの深い感謝の念が湧き上がり、日本語をいつくしむ気持ちが湧き上がってくる。
『源氏物語』が駆使したオノマトペの世界
日本語の特徴のひとつは、オノマトペの種類が多く、さまざまな作品で使われていることである。
オノマトペ(onomatop_e)というのは、古代ギリシア語が基になっているフランス語で、もともとは主に「擬音語」を意味している。例えば、ドキドキ(心臓が鼓動する音)、ワンワン(犬がほえる声)など。日本語には、このほか「シンシンと雪が降り積もる」などの「シンシン」、湿った感じを表す「ジメジメ」などの、様子をいかにもそれらしく写す擬態語がたくさん存在する。そのため、擬音語のほかにこれらの擬態語をも含んだ総称として「オノマトペ」という言葉を用いている。
オノマトペは日本文学を表情豊かなものにするのに一役買っている。たとえば、日本の代表的な古典『源氏物語』でも、オノマトペを実に効果的に使っている。
「にほいおほくあざあざとおはせし…」(色香が溢れ鮮烈な美しさを湛えて…)と表現されている美女は、主人公光源氏の妻となる紫上(むらさきのうえ)。あざあざは、「鮮やか」という現代語があるように、コントラストの強い美しさを連想させる。『源氏物語』は、紫上の容姿を形容するためにだけ、「あざあざと」というオノマトペを作り、使っている。
また、「日の華やかにさし出でたるほど、けざけざともの清げなるさまして…」(日の光がはなやかに射し込んでくるので、際立つ美しさで…)と描写されているのは玉鬘(たまかずら)。こちらは現代では使われないが、物語が書かれた時代には「けざやか」「けざやぐ」という言葉があり、そこから造語したもの。このオノマトペも、玉鬘という美女に対して造られ、彼女の容貌の形容にだけ用いている。
このふたつの例だけでなく、人物を形容するオノマトペは、その人物専用に使われる。玉鬘の母「夕顔」は「たをたを」、皇女「三宮」は「なよなよ」、というように。人物を描き分けるのにオノマトペが活躍している。
中でもひときわ秀逸なのが「末摘花」(すえつむはな)という女性に対して用いられたオノマトペ。彼女は、象のように鼻が長く、おまけに鼻の先が末摘花の染料で染めたように赤い。彼女は、身分は高いのだが、おっとりし過ぎて気が利かない。光源氏に話しかけられても、返答に詰まり、「ただむむとうち笑ひて」という反応を示す。「むむ」という口ごもって照れ隠しのように笑う顔まで見えてきそうなオノマトペ。
実は、日本のコミックが世界に羽ばたけたのは、日本語に豊かに存在するオノマトペのおかげである。絵は、視覚効果は出せるのだけれど、音響効果や接触感覚を出すのはむずかしい。それを担当したのがオノマトペ。「ドバ〜ン」「ガガーッ」「ぬめぬめ」「べっちょり」などとオノマトペは音を加え感覚を加える。だから、日本のコミックは面白いのだ。オノマトペが豊かに存在したからこそ、日本のコミックは独特の音と感覚を加えることに成功し、世界に飛翔できたのである。
日本語の歴史と日本語の特質を知ることは、日本語をいつくしみ、それを生かしていこうとする行為にまで発展していく大事ないとなみである。
掲載内容は2013年5月時点の情報です。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。